秋の晴天。
海はベタ凪 そして大潮。
いいなぁ…今日 やっぱり潜れば良かったかなぁ…と、愚痴りつつフローリングにワックスかけました。
居間のカーテンも洗いました。
今、我が家に来たら眩しいですよ。
頑張りましたもん@大威張り。
フローリングに這い蹲っていると、普段気が付かなかった床や壁のキズや汚れがこれでもかと見付かりますね。這い蹲るってのは小宇宙を知る姿勢ですね。床じゃなくて海の方で這い蹲ってもそーですね。
海の中は漠々と広いのに、ダイビングを始めた頃、その広い中でゴマ粒程のイキモノを一生懸命写真撮影されているダイバーさんが不思議で不思議でなりませんでした。
正直、一体何が楽しいんだろー?
もっとエエモノがあるだろーっ??
って思っていたですが、動かず見つめるダイバーさんの気持ちが今になってとても解る気がします。
潜水し撮影を楽しんで、ふと図書館なぞに足を運んだりしてますと、本当にどんなものにも名前があることを知ります。名前があるということは、同じように這い蹲ってそれをココロにとめた人が沢山いるわけです。
それは名前のみならず 分類名称という事になると、知らぬ土地の呼び名や町名も足元に及ばない、読めず書けず、そして一生知らなくても何一つ困る事は無いだろう莫大な名称が溢れてて、これはしまったワケわからん!読まなかったことにしよう、、、と読む目が小走りになります。
しかし、当のイキモノ達は 自分にどれだけ難しいお名前が振り分けられていても、その行動の目的はただ生きようとしていること。
その命を繋ごうとしている姿は、客観的立場で見るとどれも大変 愛おしく、そしてリアル。
どれも確実にイノチに繋がっている。
人間くらいのものです。
産む行動意外、イノチを繋ぐことがないのは。
捕食者がいないというのは 特別なのです。
又 近い日、ワタクシは海を目指して晩秋の海の底や岩壁に這い蹲るのだろーうと思います。 |