2008/4 Diving log

ヤドカリの殻交換 4 08/04/22 (火)

フクロムシがいても アイツに近寄ったら感染るぅ〜 とは 思ってなさそうですねぇ

さて、ヤドカリの殻交換。
殻を奪われる側のヤドカリの体の横に、目立つ朱色のものがブラブラ。見た時は、へー このヤドカリの貝に隠れた体の一部はこんなに赤いんだー ← とね、そう思ったワケです。が、家に戻りPCに落として見てみると、殻を奪う側のヤドカリには、こんな朱色のものは見当たりません。じゃ、奪われる側のヤドカリは抱卵中だったのか?とも思いました。んが、ヤドカリの殻交換の本は、抱卵中の雌は最後の抱卵を迎えるまでは、雄に殻部分を掴まれていて、それはまるで<ヤドカリが鞄を持っているようだ>とあります。 この朱色が卵なら、繁殖期最後の卵を抱いた、雄が掴んでいない雌って事になります。うーん……?実際の所 どうなんだろう?って思ってました。


すると、どうもこれは卵じゃなくてヤドカリに寄生してるフクロムシだろうと、、、、、、そんな話し。

フクロムシってものを良くは存じてませんけど、確か随分前にTVの動物番組で観た事があります。カニさんらのお子さんをつくる部分に寄生して、我等は卵だよーと思わせることで生きるモノどもので、雄に寄生すると アナタは雌だよーと思わせるチカラすら持ち、雄カニは栄養分を吸われつつ すっかり雌のココロで寄生虫を大事に育てるんだそうな。赤ん坊のフリして栄養を吸い取るってのは随分道理から外れている気がしますけど、どうやって雄をオカマ化させてるのか、その能力(?)は全く物凄いことなんで、フクロムシから”究極の雌”となり育児に専念してしまう薬ってのが出来やしませんかね?
出来たらスゴイですよ 年金問題救えますし。

生物の意味の部分を操作して生命を持つなんて、フクロムシの罪は重いなぁと思いながら、しかし考えてみるとフクロムシは自ら企んだワケでなく、ただ そういうふうに出来ているもので、これも自然の一つ。罪などどこにもないですね。でも、いややなぁと寄生生物に対する不快感ってのも、生物である自分として正常な反応(?)だと思ってますし、この手段と結果も生理的に受け付けません。私に寄生はしなくても、きっとフクロムシさんを一生好きになりませんね。更にそのグロさ故、覚えたくはないけど その名を忘れる事も無かろうとも思いますー。

お互いが何か利益を得ているか、一方的な危害かで共生か寄生かが決まるんでしょうが(多分)、フクロムシは何も与えてないんですかね?寄生手段として相手に思考と行動を与えてますよね?宿主側としては不幸な方向なんだけど、寄生側としてはあまりにも見事な結果ですよね。

唐突ですが、星新一のショートショートだったと思います。既に人として活動していない人間の脳味噌のみを、なにやら液体に浸けていると、その脳は幸福だった時の思い出の中で過ごしているってのをね、読んだことがあるんですよね。健康な状態の人間しかイメージしないでこの話を読むと、大変不愉快なんだけど、こんな事が出来るなら物凄くたくさんの、もう喘ぎと苦しさしか知らず不幸を生きているお年寄りの脳味噌たちを、どうかその液体に浸けて下さい…とね、本気で思う事があります。

他所様の繁殖を阻害するフクロムシの寄生は好きじゃないけど、雄を雌化して養育するココロにさせるチカラは、寄生されたカニやヤドカリの頭をどんな世界にさせてるんですかね?なんて思うんですよね。客観的に宿主を大変不幸だと思いつつ、思考と行動を変えるチカラって辺り知り、それはいかなるものなのか どんな具合なのか知り得るものなら知りたいとも思いますー(無理だろうな…寄生されるのはやっぱりイヤだし…)。

……つづく(?)

 

ヤドカリの殻交換 3 08/04/21 (月)

<ヤドカリの殻交換>と、内容は全く同じ<ヤドカリの海辺>(著・今福道夫)は児童書です。
児童書だけど、題名だけ興味深くて全く中身が読めない研究書より(だってホントにそうなんだもん 小難しいものは一部の人にしか読めないよぉ)、有り難い読み物でした。随分前の事ですが、勧めて下さってありがとうございます。

で、余談ですがヤドカリの本だけで無く、私も図書館で時々児童書コーナーに私も行くんですね。児童書ってのは子供向けだけにしておくのは大層勿体無いものが山ほどあります。その内容は全く侮れず、子供に伝える目的でつくるという事からか、ただ不思議だねぇの物語に留まらず、理屈も絡めて面白さを伝えようとしている匂いが大人の私にもおいしいのです。

コラージュのような 御体ですのぉ

私見ですが、興味のみをそそるだけの内容の生物本は、大人向けの簡易な本の方に多いように思います。読み易いと言えばその通りですが、なるほどねー……で終りって感じなんで、マトモに扱っている児童書の方が随分誠実な印象を受けてます。

アナハゼのガキ

絵本も同じです。絵本というのは解りやすく、絵本の質が良くなったのかどうなのか、子供騙しでは無いものがたくさんあります。
そして生物のように、そのものの姿かたちをイメージしないと理解し難いものは、本物を見たり触ったりする以外は、絵 写真 そして映像を通して初めて納得出来るもんだなぁと感じます。

同時に これは私の趣味だという事になるんでしょうが、今回のこのヤドカリの様なものが一番楽しいなぁって思うんです。
ヤドカリってのは(多分)珍しくもなんともない生物なんですよね。だけど、やってることは物凄く面白い。
人間の頭ではあり得ない行動を繰り返し、私と同じ時間 すぐ傍で暮らしているじゃないですか。

珍しくないけど とっても凄い。

ダイバー的価値のある生物ってのを、何方が決めるのか 雑誌なのかなんなのかよくわからんですが、私としては あれです。
立派なダイバーさんたちから吊るし上げられそうなのに怯えつつ小声で申しますと、ダイバー写真なんとなく飽きてますー。
いえ、ホントに個人の趣味ですんで ええ、ヤドカリの生態とか赤潮のほーが、なんというか私の場合はやっぱり面白いです。
つまりそんなことです。

……つづく 鴨っ。

 

輝く (かもしれない)  08/04/18 (金)

海が春になる日を、私は胸の底で待っていたんですよ。でも、それは一体どんな春?と聞かれたら、一応相手の面を選んで答えを広げますけど、そう 私が待っていたのはプランクトンの海……ですからね。

語感だけは風情がある<春の海>。しかし、思い描くとは罪なもの。光を受けて瞬く海とは又違い、近寄れば近寄る程に離れたくなるのが春の海。春を迎え小さな命が目を覚まし こんな具合にプランクトンのスープ+茂る茂る茂る藻……。それがお互い絡まり合い縺れ合い、所々海なのにきちんと黄土色のインドカレー。
こんな中に面を沈め、それでもモノ足りず全身まみれ、きゃーぁぁー臭いー と言いつつ笑顔で沈んでく。
……そんなもんです。泥んこ遊びってのは気持ち悪くて 物凄く楽しい。それと一緒よ一緒 えへえへ。

けんびきょうで 見てみたい スープ

頭を浸けただけで こんなになります

でも、誤解無きよう書きますが、待っていた理由は赤潮に潜って楽しもうってのじゃなく、この赤潮は お日さまが沈んだ頃<光る>かどうか自分でちゃんと知りたかった。ダイビングをやっている人なら、赤潮が光るのを見たことがあるかもしれない。プランクトン豊富な春、ナイトダイビングをするとフィンを履いている時からキラキラ光ると聞いた事もある。私も、夜光虫が輝き、進むダイバーがティンカーベルになるのを見たことはある。しかし、私が更に見たいと思ったのは、なんちゅーか この赤潮をぐりぐりすると光るのかどうか。光るなら自分で見て 光はどの位のもので、どんな感じに光るのか。
そして更に、赤潮寄せる波打ち際の夜は きらきらと光る波が打ち寄せるものなのかどうか。

つまり、潜らなくて見られるもののことです。赤潮さえやってくれば私は光るかもしれない海にあえる。

これはとても簡単なことでもあるんだけど、そのタイミングってのがね ほら あるじゃん。自分が夜の海に出掛けられる日に赤潮がどっさりやって来くるかって事よ。んで、この日赤潮の海を見て、ぇーこの中にもぐるのぉ?って思いながら、ぇー今夜見に来れないじゃんっっっつ←自分……ってのもおもったのよね。

赤潮を抜けると 今度は 藻!兎に角 藻!

黄土色の中は みどりー みどりー

空に天の川があるって言いますが、大きな声で言います。私はまだ天の川ってものを自分の目で見たことがありません。空に星の川なんてものがあるのなら、人に言われるまでもなく おおおお!!←と思う筈です。しかし無い。私の目が悪いから星屑たちが見えないって理由もあるのかもしれないけれど、無いものは無い。
絵本の話しの中だけでなく、実の空にそんなものがあるなら見てみたい。
この春、びっくりするよーな田舎の田舎に第二の自宅(?)が出来たんで(旦那の赴任先だけど)、星の川を、今度こそ見ることが出来るかなぁ。

んで、この春出来れば赤潮が打ち寄せる海岸は、夜は光る波が打ち寄せているのかも知りたいぞ。
春の海の波打ち際は光ますか?
それとも赤潮はただ、光らず夜もどろりなタラコのままですか?
夜光虫のよーに波に刺激され波の形のまま光るのではなかろうか?というのは、私の想像だけですか?
いや 別にプランクトンならなんでも光ると思ってるワケじゃありませんか なんとなく どうかなぁって……。
渚が光の帯になって砕けたり広がったりするならば、それはうつくしいだろうと思ったりもするし(ふぁんたじー)。

海に親しんでいるよーで、こんな簡単なこともわかりません。
春になって、波打ち際が輝きだしたよ……って話をあまり聞いたことが無いように思うので、春の夜の波は ただの波の音ばかりなのかなぁ?←と、こんな具合に 私はね、春の渚が気になっておるワケです。

……ヤドカリネタを残しつつ つづく

 

繁殖する こころとカラダ 08/04/15 (火)

ヤドカリの殻交換の本には、ある冬の寒い日のことです←から始まる繁殖の話しがあります。繁殖期の雄は片方のハサミに雌を持ち、交尾までは離さず連れまわす、、のだそうな。
それはまぁ、人間でもありそうなんだけど、面白いのは交尾が終わるまで←が節目だということ。

10月から5月頃にかけてが繁殖期であり、その間何度も卵は産むらしいのですが、現在抱えている卵の孵化後に今連れ添っている雄と交尾しちゃう。故に雌が雄と一緒にいる間は前夫(???)の子が雌のお腹にいる事になり、それまで雄は自分のが交尾叶うよーに雌をキープしている?って事になるのかな?

その行動結果卵が孵化する時、雄が雌と子供たちを守っている<状態>になってるんだろうけど、イカ同様 雄は自分の遺伝子を残す目的故に雌を離さないワケで、繁殖期の最後に卵が身体から無くなった雌は雄にきっちり用無しとなり、雌は最後の我が子を自分一人で孵化させてるらしい。
いや、ここの辺り人として えぇ〜〜…ですが、ヤドカリ的には交尾後お別れする生物なんだから、雄が情をもって雌を守り子供の未来を祈っている……なファンタジーは要らないんでしょうね。

情を持って守るてのは、それならどんな場合に起ることなんですかね。生態のみで生きない、社会を持つ生物の場合?ですかね?気持ちが行動を左右する状態が生活にある生物ってのは、海に数え切れない数生きるいきものたちの中では どのレベルなんですかね。そう考えると やっぱり人間が大好きなイルカやクジラって事になるんですかね?

ぶりぶり産んでます

うみほぉずき

さて、話しは全く逸れるんだけど、以前から見たかったミガキボラの産卵中にも出くわしました。岩陰だし、どっちがどうなっているの見てもさっぱり解らないんで、どう卵を捻り出しているのか窺い知れず無念です。

かわいいぃよぉ〜 かわいぃよぉ〜

ミガキボラは、あっちこっちで見事でありながら、眺めてると痒くなりそうな姿の卵をどっさり産む貝ですが、これだけの卵をコイツが例え大きめの貝であっても、どうしてこんなものを出すことが出来るのか、私は不思議でたまりません。具の元になるものが貝の中にどう収まっているのでしょう。
あまりに数が多いので、卵塊は一個体の貝が産んだのでは無く、集団で産むのかとも考えていました。しかし、この日目撃した姿はたったの一個体です。一個体で岩一面にこれだけの細工をする材料が身体にあるんですよ??

イカの産卵もそうです。
イカが子持ちイカになる季節、イカを俎板に乗せてさばいても簾の如く揺れる卵塊の材料となる量は見当たりません。イカは何個体かが集まって産卵するのでしょうが、それでもあの岩場のヤリイカの卵は数が多く房も見事です。

余談ついでに続けますが、ウミウシも同じ。
あの花びら状卵塊を産む姿に出くわしても、卵塊を捻り出しているのは一個体です。つまり、たった一匹のウミウシの身体に、あの卵を細工するものが納まっているのです。どうなってるんですかね?

私はね、砂地にじっと身を潜め、ホントはどうなってるのかじーっと沢山の生物の仕業を眺めてみたいキモチですよ。

……不思議は続くよ どこまでも。

 

ヤドカリの殻交換 2  08/04/13 (日)

ヤドカリ目で潜っていると 又 殻交換に出ァえると思う

殻交換を見たヤドカリは、どうやらケアシホンヤドカリ…みたいですね。でも、名前を知る事よりも その行動の方に気持ちは惹かれます。

そもそもヤドカリってのは巻貝こみこみじゃなくって、その中身のみね。貝は別の生物……。別の生物だったものが身体の一部の様にセット化してイメージされるって辺りが既に面白い。

ヤドカリの殻交換の本が児童書なので、気楽に読めるだろうと思ったのにそうじゃなかった辺りも、貝を巡る行動が人の目から見てあまりにも意味深いので、これは腰を据えて読むものだ と、思ったんですよねぇぇ。私が何を言ってるのかって思われたら、ヤドカリの殻交換の本を一読して下さい。私がここで説明するより(当然ですが)納得します。
私が思っていた、殻交換なんて他所様と摩擦を繰り返すストレスは辛かろう、貝殻なら海にいくらでも転がっているのに、なんで交換なんてやってるのか ←って辺りも本を読むと納得しましたしー。

さて、深まてかたで、殻交換の現場を見つけたとき、既にヤドカリ等は入れ替わる段階にいました。しかし、どうやらヤドカリは入れ替わるその前に、なんと取引(?)とも思えるよーな行動があるようで(?)そこを見てなかった私としては一寸惜しい(いや、大変惜しい……)。ちなみにそれは、奪う側が奪われる側の貝に貝をぶつけたり擦ったりの行動のよーですが、それを見た私が 奪われる側が相手の貝を値踏みしたのか、その評価はどうだったのか…なーんてね まぁヤドカリでない私には見てもわっかんない〜んでしょうがぁぁぁ、、、折角なら貝のゴシゴシコンコン姿を拝見したかったでっす。

こうして撮った写真をみていると 奪う側の貝より奪おうとしている貝の方が新しそうざんすねー

んで、交換はいくらいい家でも中古物件だけど、生きた貝を襲って新築を一軒果たす事で、その周囲にいたヤドカリ達が次々と空き家を移り、俺そっちがいい俺もそっちがいい俺もそっちがいい わたしもわたしも…の挙句、貝一個分 住宅事情が向上する……ってのはなんだか心から感心してしまう。
全くヤドカリがエライのかどうなのか、自然ってのはホントにエライです。

ヤドカリの家が古くなりっぱなしではない理由はこんな事だったんだ。と……感心して、もう一つ。

イカの産卵に戻るよーですが、ヤドカリの雄もイカの男どものよーに(?)一見雌を守っている風で いやいや、、、
オノレの遺伝子を残す為に、雌を守るどー ←を男らしく貫き通しておられるそうで、自然界における”いきもの”の意味を再確認するきもちでございますしー。

……続くわー。

 

 ヤドカリの殻交換 1  08/04/08 (火)

自然の状態で ヤドカリの引越しをきちんとみたのは初めてです

随分前ですが、ヤドカリの殻交換という本はいいですよ と、某人から勧められた事があります。
どうやらそれは児童書との事で、ほぉほぉ 児童書なら易しく読めるだろうと早速図書館へゆきました。ところが本を広げてみると、児童書にしては読み進めば進むほど深い内容。あらら見当違い、これは軽くさらーっと読んでみましょうってなワケにはいかないぞ、時間のある時、腰を据えてじっくりと読んでみなくてはならぬと思いながら、一応さらーっと斜め読みし、返却日に返してしまってそのままです。
うーん……ちょっと今回、こうして出くわしてしまったからには再度借りて読まなくてはなりませんな。

潜らなくても、ヤドカリならその辺りにほっつき歩いているものなのに、こうして自然の状態で殻交換を見るのは初めてです。殻を奪う奪われるのシーンですが、どうみてもサザエの壷焼きに串を刺し つるんと身を出す時のことが頭に浮かびます。捻れている身体を螺旋状の殻に巧い事入れるのに、一種のキモチよささえ感じますねぇ。
つるっと身体が くるっと なんかこう……にゅるっと……面白い(←ニュアンスで理解して〜)。

貝殻なら人のものを欲しがらなくても、歩いているうちにエエのが他にありそうなのに交換するってのも、つくづく可笑しい。
だけど私も、面倒だ お金がかかる、身体が疲れると愚痴りながら、実は引越しキライじゃないぞお。
新しくない、人が暮らしていたお家ってのは なんとなく居心地がいいもんです。へへへのへ。

……つづく。