2008/05/19〜/22

ウミウシのこと 08/06/02 (月)

ウミウシはもっといたのですが、極小モノは写っていても話しにならないのでUPしてません しー、観てないヤツもいるそうです。マクロレンズという武器を持たないんで、芥子粒ウミウシにカメラを向けても確かに撮れなかった…でしょーねぇ。
ウミウシを知っている人は解るだろうけど、ここにUPしてるウミウシどもは、それなりサイズから……実際間の前にすると、で?何?な 極小サイズまでいます。<で?>系のウミウシをダイバーじゃない人が見たら 確かにウミウシよりダイバーの方が<ある意味スゴイ>と思うかもネェ。ぇぇ ぇぇ、そう感じたアナタはね、正常なんですよ。正常。

ウミウシダイバーの非難じゃないんですよ。どの領域でも興味ってものはそんなものだと思います。他人様のご迷惑にならない限り、個人(素人)の楽しみは他人の評価を受ける必要なんてないってもんですしー、加えて、無理に共感して頂かなくてもいいんです。普段私は自分の興味深いものものの事を、人に話して聞かせるこったぁ〜ありません。話してもエエ事にはならんだろうと戸を閉めてます。個人の趣味の範疇なので、お互いの為といいますかね、相手も困るだろうし、ネタも絶対面白くないだろうし、私も大切なものに踏み込まれたくないですし。

ただ、ダイビングをしているって位は話しますね。すると大抵の人がリゾート的なもの、冒険的なものを連想するみたいです。で、少しだけ<ウミウシ>の写真を撮ったりすると言う事もあります。それはやはりダイバーじゃない方にも、<ウミウシ>ってものが<知られてる>ようになったからだと思います。それでもウミウシ海中撮影趣味は珍しがられますが、ウミウシはそーっと一般社会に知られた生物になっているんですね。
それは、やはり物凄いことだなぁと思います。

私が恐々海に潜るようになってから、ウミウシの名前をたくさん覚えてゆきました。
世界の国旗とおんなじで、覚えても覚えても忘れるし、柄と名前が今でも一致はしませんが、殻を持たない貝(ウミウシ)と出逢うと不思議と嬉しくなるのです。そしてそれに名前があることも、素直に嬉しいと思います。
浜辺で名前も知らない貝殻をふと見つけ、手に取る時も似た様な気持ちですね。貝はどなたもステキです。

 

青の中の いきものと 2 08/05/31 (土)

殻として残る貝でも、つまり遺骸ででしか出逢うことがあんまり無かったわけです。
それが潜るよーになると、辺りの人らがウミウシウミウシウミウシと言っている。今思えば丁度流行りだったのかもしれないですね。で、恐々潜っていた当時の私は、ウミウシを見つけたり写真を撮ったりすることは どうやらスゴイことなのだ(ろう)と…。

 

 

広い海で高額なカメラを使い、目を細めなくては見えないウミウシを夢中で撮っているダイバーの方が、或る意味スゴイのではないのか?と正直思ってましたが(ごめんなさいね でもホント)。何度も潜っている内に、プチっと生きているウミウシを見つけて私も小躍りするよーになりました。
透視度低い山口の海で、私もこーしてダイバーというもんになってったんだと思います。

目の前には図解で観たウミウシが歩き回ってました。本当にこんなものがいるんだなあ目の私は、ゾウやキリンやカバを観るよーに眺めました。座間味の海は遠くまで澄み、そこらにいるどなた様も見慣れない方たち。この違いであぁ亜熱帯に来ているんだぁ!と、実感しますね。

空の青 海面の青 海中の青。その青の成り立ちがそれぞれ違って しかし青。
ここは私の海とは違う青。つくりもののような青を手伝うのは白砂で、更に色味を冴えさせている。私の暮らす海ではこうした生物由来の礫を残しているのが、貝だぁ。(←だけじゃないだろうけど)

砂には二通りあって 岩石由来のものと生物由来のものね。須佐の砂紋や 座間味の浜や海底で私が眺めているのはつまりイキモノ。命で溢れる海の中に、命を持っていたものたちも広がっている それがこうしてあることが なんとうつくしいものだなぁ ってのがね、いいんですよ。ホントにいい。地域が違うと砂が違うのは凄く凄くいい。
見知らぬ地域に来ているのだ、ここは生きているものも生きてきたものも違うのだぞお!がいいのです。

……つづくの〜

 

貝のこと 08/05/30 (金)

海に潜らなかったら、おそらく一生ウミウシというものを意識するこったぁ〜無かったですね。
なんでかって(前回の座間味logでも似たよーな事をかいたけど)貝殻が無いですからね。
貝殻の無いウミウシは亡骸になって浜辺に打ちあがらないでしょー。磯遊びでウミウシに出会うと言っても、磯の岩場を猿のよーに跳びまわって遊ぶ事より、安全な浜辺を何気に歩く方が絶対多いですからね。そんで浜辺で貝殻を摘まみ上げて指で撫でまわし、その愛らしさに捨てられず、つい持ち帰って飾ったりするじゃありませんか。

いつ何処で生きているかわからない 命が消えても何も残らない貝(ウミウシ)は、とても遠いイキモノだったワケです(わたしの場合はね)。

こんなもんを でっかく載せるなと思われそうですが 私はこれが一番すきじゃあ

ついでに殻のある貝についても、潜るよーになるまで 貝殻を貝だと思っていましたね。
私の顔は頭蓋骨じゃぁない。つまり貝は貝殻じゃぁない。あれは殻。
屁理屈みたいですが、いーや 屁理屈じゃないんですって。ホントホント 貝は生きているものだと思うんで。
ほら、個人的に好きなんですが 上の写真は生きている貝ですぞー。貝殻じゃなくってこれは生きてるのよ。

子供の頃見てた図鑑の貝は貝の殻ばっかりだったです。
人のせいにするよーですが、殻の形を覚えれば貝を覚えたことになるよーな気がしてました。生きている貝の姿のことなど、ちっとも頭に思い浮かばなかったですね。玩具な姿の貝殻が、どんな具合に暮らしていたかなんて考えなかった所で、ある日ウミウサギみたいなヤツに海で出会い、つるつるの殻に奇天烈な軟体物が貼り付いているのを見て、ちょっとちょっと貝は中身を守るためにあるんじゃないのかっっっ?!柔かいところは出てたらいけんやろっっっ?と憤慨したり、マテ貝みたいに、もうどうでもエエ 俺 …… な パンツ小さすぎ貝に仰天したり とね、、、いや なんといいますか、オドロキの原因というか、全ての間違いは貝は貝殻じゃなくって、生きて暮らしている貝というだった ← ここにあるのだろーなーと思います。

誰がデザインしたのか 見事な衣装でウミウシ等は歩き回ってますね。どうしてこれだけ斬新な衣装が必要なのか全く不思議なんですが、この美しい方たちは みんな命が消えた後、どなた様も砂にならない方たちで残念です。

 

……ウミウシ(貝)の写真は まだ続く

 

青の中の いきものと 08/05/29 (木)

インターネット、繋がらなかった原因も解らぬまま無事繋がりまして、わたしの精神衛生も保たれてます。

インターネットというものは、無くても死にはしないだろうモノのようで 習慣性がありますからね、繋がらないとなんでか苦しい。体のどこが渇望してしまうのか解らないけど参ります。まぁ実際、調べ物ができない、ニュースも解らない、連絡もとれない(メール滅多こないけど)
……ちゅか、やはり兎に角時間が味気ないですね。ものすごくつまらないのは なんでですかね?

で、繋がったんで座間味logもUPできる。うれしいナー。

座間味の海で、観たいもの の、リクエストを尋ねられました。
なんというか、一番のリクエストはゆっくりさせてくれること で、前回もっっっの凄くゆっくり遊ばせて頂いたんで、ぃぇぃぇ♪なんでも…と。

でもウミウシは折角だから見せて貰おうとお願いしました。
ウミウシっちゅもんは、私なりにいろーんな思い出があります。
物凄くあります。ウミウシに限らず、ダイバー的に価値ある(らしい)生物に思い出がある と言った方が正しいかな。観なくちゃいけないかの如く 標的物?にライトを照らして待たれると、制限時間内にその写真を撮らなくてはならない気持ちになってた。撮ったら直ぐに離れないといけないと焦りもした。そして何より、海の中で観るべきものは ガイドのライトを浴びたものだけであることに、随分腹も立っていた。えぇ ずっと昔の話しで根にもって言ってるんじゃないですよ。
そうだったなーって 思い出です。

座間味では背中を押されるよーなキモチにもならず、青と白の中を暢気にあそびました。
青と白になってあそぶってのは気持ちのいいもんでした。カラダがあるのは私の海とは明らかに違う南の海。
乱舞する派手な魚が奇抜でも、ひとつひとつ追う気になれず、ただ漠々と青い背景の柄として観てました。

そして、やはりその青の下に広がる礫や砂が珍しく、行く先々で手にとってはさらさらと零し、ぼんやりしてたよーに思います。それが例え生物のカラダの一部時代から、別の生物の口に入り腸管内を経由して、めでたく排泄されたウンコぉ白砂〜でも、須佐のながいその奥で、遠くに消える砂紋の全ては、ここで生きていた筈のものたちが砕け砕け時間を経て、こんなにもある!なんてことだ!なんてことだ!と思う(いつもだけど)、その時と つまりまぁ同じ気持ちだったと思いますー。

……いいのだ 生きるものたちの健康の全てが@つづく