2008/12  Diving Log

(結局 最後まで余談) 08/12/30 (火)

結局 二号宅に写したデーターを自宅にもって帰ってないんです。よって借りたカメラで撮ったマガキガイ集団をUP出来ないまま今年が終り。なんかすっきりしないなぁ。
職場なんかで「家が二つもあっていいねえ。」とかなんとか言われたりしてますが、自分の家はあくまでも一軒だけですからね。60キロも離れた家と家を往復しながら不規則勤務やるのは難儀なんですよ。それでも人がやっていると面白そうにみえるみたいでほんとうに理不尽……。

二号宅が出来て、山口から向うよりぐっと海が近くなったからさぞや潜り三昧♪なーんて初めは思っていたですけどね、結局は忙しくって潜る回数が寧ろ減ってます。海が時化て入れないってのも随分あったしね。
しかし、潜らなくても浜歩きだけで随分驚くものを見つけている人々が世の中にはいるみたいで、夜な夜なWebで拝読しては きーーーっとなったりもしてます。潜ってても出逢えないよーなものに向こうから転がってくるというのは実にクヤシイですねえ。いきものの生態はいろんな場面で出逢えるんですね。それを観る側がどう捉えているか、素晴しいと思うかキタナイものと思うかの違いは大変大きいですね。

潜り始めた頃は、海の中そのものにヨロコビとおどろきを感じ、何処に行くよりも遠くに行った気持ちになれました。そしていきものの暮らしぶりの多様性に癒されたり、潮全体があらゆるいきものたちそのものであること、海の底の肌そのものが生きてきたものものたちの遺骸であること。
生まれたり命が消えたりすること これが健康な姿なんだと思いました。
私が海のなかに惹かれるのは 何を観ても結局はそこのところです。

石や砂が好きなのも、つまりそこに行き着くことなんですけど、ええ 自分の中ではですよ。個人の心の中ででの話しです。しかし、昨日も ついうっかり人に「化石や砂がすきなのー。」と口を滑らしてしまい冷えました。ヤバイです。これは決して人に話してはならぬ私が真人間の姿でいられる掟なのです。唐突にそんなものがとっても好きという人はどう捉えても奇人で、人さまの前では ふつーに「スキューバーダイビングが 趣っみで〜す♪沖縄の海 きっれぃで〜す♪」程度にしておかねばなりません。来年も普段は自分の戸締りをしつつ、生きるという不思議をたのしみに、時々人知れずあざらしに変身しよーとおもうとりますのでどうぞヨロシク。

 

(余談ばかりつづく) 08/12/25 (木)

先日潜ろうと思って ちょっと潜れなくて、んで 明日休みだから予約しようかな……と思いきや寒波さんがやってくるんですね。日本海側大時化じゃん。駄目じゃん海!

そうそう、さっきインターネットでカメラを注文したですよ。でも、カメラだけね。海中で撮影で必須のハウジング注文はまだ。今度はちゃんと外部ストロボもつけたいけどこれもまだ。で、ネット注文でキーを叩きながら、ちょっとだけ真人間の私が耳元で囁くんですよ。なんで海中写真を撮るような道具が、この自分に い・る・の・?って。他にお金も時間も使うことあるじゃない?って。すると、すかさず繋ぎ隠しているわたくしが「カメラはじぇったい要る!」「ちゃんと生きろ。」と答えている。

繋ぎ隠されているわたくしは、放し飼いしているととんでもないことになりそうなので、通常固く丈夫な鎖で理性の柱に繋ぎ飼っています。こいつはね、絵も描いて無いし、自分がなにやって生きてんのかよくわっかんなくなったり、なんかこう何もかもきっちり形になってないというか、こうありたい像はありながら、それって空想?蜃気楼?ってのに常々怒ってイラついている。他にもたくさんムカついている。ちゃんとやりたいことはやっておかなくちゃいけんやろ?!と、柱の陰でぎゃうぎゃう吼えてやかましいんですよ。

何っていえ カメラをとりあえず買ってみました ってことです。はい。

 

(12月の余談) 08/12/20 (土)

絵のついてない文字だけの戯言、読んで面白くないでしょー。写真はカメラを借りて撮ってんだけど、そのデーターを二号宅に置き忘れてねぇ UPできんのです。やれやれ……

次のカメラを検討中ですが、懐を思えばビデオ購入は却下、一眼も却下、素人らしくふつーにデジカメを持とうとおもうております。当然ハウジングも必要。更にやはり要るんですよね?外部フラッシュってのが。故C-755時代、要るものだ要るものだと言われ続け、とうとう外部フラッシュを付けずに逝きました。好い加減な私は、そこそこ撮れてれば良かった。しかし、次の購入を考えてメーカーのサイトを見ていたら、外部フラッシュを付けることをお薦めします!と書いてある。本家にそんなに堂々と書かれたら、あ ハイ すみません つけますつけます←ってなるね@笑

折角買うならきっちり買おう。こんなでもダイバーだもの←と思いつつ、季節は12月。街はオシャレに輝いて、お洋服買ったり靴を買ったり。そして袖を通してふと思う。普段は陸地に暮らしてる。偏った趣味道を走ってても、こーして真人間の装いをしとかんと やっぱりおかしい。私もね、普段からあざらしじゃないんですよ。変人でもないんですよ。陸地のわたくし、あざらしのわたくし、その両方の生活が満ち足りたものである為に、こーして夜勤もやっておりますがな。明日もがんばろうっと。

……つづく。

 

マガキガイの集い 08/12/19 (金)

前回 座間味でスイジガイを見付け、巻貝の隙間から覗く二つの目に おおお♪須佐で出逢うマガキガイの眼つきと似てる〜←と小躍りしたんですが、、、ベエイに何故かマガキガイ大コロニーが。集まるからには、マガキガイの用事があるんだろう。はてさてそれは何事?と気になって、しばらくその貝だらけの砂地を、ぐるぐる じろじろ。で、合同結婚式(何かの宗教でそんなんあったよーな…)かと思って、並んでる貝を摘まんでみたりしたけど、ちっとも合体はしてなかった。しかし、普段バラけ暮らしているんだから、集まるってのは各々に何らかの用事があるか、集まる場所に用事があるかだろう。
砂地にエサらしきものは見当たらない。ウスラ淋しい12月の海底でお前たちは何を集っておるのか。

合体するにせよ、これだけの数が集う必要があるのかないのかよくわからん。そして謎のマガキガイ族は、何をするでもなく、ただ鳩のエサを撒いたよーに転がり広がっている。なんなんじゃろ?思い出せば、絵的にうつくしくないんで、カメラも構えず通り過ぎたんだけど、ある日イトマキヒトデがえらいこと集合してたのを見たことがあります。で、じゃあ何をしてたか?と言うと、ただ暖をとるかのよーに折り重なっていただけで動かず、カラダに何かのアクションがあるでもなく、面白いよーな面白くないよーな なんかしらんけど何しとるん?←でした。
今回のマガキガイ集合も同じ。

どこからこんなに なんの合図で集まったんですかね?貝やヒトデに限らず たくさんの生物もそう。海の生き物は人知れず仲間と連絡し合っている。想像するとその不思議にうれしくなる。そしてこんなん見ると、やっぱりさ水族館の生物なんて、水族館に引き込まれた汐に仲間の合図を読み取って悶絶してるんじゃなかろうか?なんて思ってみたり。大水槽だ凄いだろうなんていうけど、あの中でアテもなく回り続ける生物の姿って観てるほーが苦しい。考えすぎですかね?でも絶望絵図のよーに見えますよ。

地味で話題性もなんもないマガキガイは、捕えられても水槽で鑑賞されません。多分そうです。幸運です。よかったね。そしてめでたく12月、仲間からの連絡でぞろっ〜〜〜っと集ってました。
健やかで地味で、当たり前で大変ええことです。

……つづく〜

 

チャガラの季節 08/12/17 (水)

さて、写真という証拠ブツ無く説得力に欠けたまま、冬のチャガラについてエエ加減観察報告を。

チャガラは大人になりました。まだまだ中層でまったり群れていたりもしてますが、色気づいて来ました。この場合、群れのつくりはどーなってるんですかね?非常に解りやすい配置になっているネンブツダイを思い出し、チャガラ一族も漫然と見える群れの構成が、色気具合で立ち位置が違うだろうなぁ♪と思うですが、ぼやーっと適当に集合してる風でよくわからんかったです。で、時々広げる鰭のカラーライン、確かにちょっと鮮やか……ですかね。しかし、ここで婚姻色とはどういうことか。婚姻色、天下のウィキペディアによると、<繁殖期に現われる平常時とは異なった体色斑紋>とありながら、婚姻色という言葉がふつーの生活であまり必要とされない、感心が薄い言葉であるからか、<婚姻色>の奥深さを期待するわたくしにとって 相・当・おざなり。

眺めたいチャガラの色変化は、この平常時と異なる体色がどうか〜だけど、捕えて比較すればタチドコロに解りそうなんですよね。どーなってる?って四季通して見比べばいい。素人ダイバーのお遊びではそれが無理。興奮すると黒くなるらしい(自分は知らないけどさ)ソラスズメの謎の色変化同様、間近で生活を眺められるダイバーより、こーなったら掌に乗せて堂々と眺められる釣り師の方が知ってんじゃないの?と思ったりする。

唯一の武器→カメラも、色については頼れるようで頼れないものです。
そーでしょうが、チャガラの頭が黄色い時期があるとか、幼魚時代は赤いぞなんてのは写真でまじまじ眺め、ナルホドーーと思えても、色が変わってるんだかどうなんだか、光線の加減じゃないの?なレベルの変化はデジカメお得意のソフトによる加工で変えられる。魚が羨ましい程 美しくつくれる。

私はさ、正直 鰭の鮮やかさの違いは色そのものが変わるワケじゃないので、実は今ひとつよくわかりません。でも、鮮やかになるとあれほど言われているんで、色の質に対して私は感受性が弱いのかな。そして、私が気になっている冬チャガラの灰蝋色については、やっぱりちょっと黒ずんできたかなぁと思います。チャガラは大体透明感あるカラダで、それを私は蝋色だと表現してるんですけど、それは見る方向で陽光の加減が変わると色が違って見えるんで、光が鈍い冬だから灰色に見えるのかなぁとも思ってました。けど、冬はヨゴレ色が目に付くんですよねえ。そして、今回 やっぱりちょっとヨゴレて見える(灰蝋色)。

ま、天下のウィキでも婚姻色についておざなりな説明なよーに、婚姻色がどうか、それもチャガラが黒くなろーが白くなろーが、例え玉虫色になったとしても、私の生活になんの関係もございません。チャガラも知って貰いたいと思ってもないでしょうよ。しかし、念願の冬が参りましたので冬の色彩を楽しませて頂くことをココロの張り合いとし仕事に励み、解決してもしなくても こーして眺めることそのものが我がヨロコビなのは間違いございません うれしいな。

……カメラ はよ買お@つづく

 

あざらしの季節 08/12/13 (土)

座間味ログが終わらぬまま、次のログに進みますー。というのも、写真が用意できてないんで、生き残った画像をカードから取り出したらね、また座間味ログをUPしようかなってことで はい。

さて地元潜水、実に三ヶ月ぶりです。座間味に行ったらでなく、予定を立ててもタイミングが悪くってね、時化やらなんやらで潜れなかったんですよ。たまんなかったですよ。こんな時もあるさと思いながら、乾ききった頭の皿を掻き毟り、いじいじと燻ぶってたりしてました。

そうこうしているうちに、地元の海はすっかり真冬仕立てですね。
お陰で私もあざらしの季節を迎え、8mmにしこたま錘をぶら下げて沈んでみましたともよう。重たいよう……。やっと潜れた須佐の海、チャガラたちはどうなっているだろうか。ソラスズメたちはどうしているだろうか。ウミヒルモちゃんはどうしているだろうか。みんなみんなどうしてるかと 立派なサイズの岩々を踏み分け波を割りながら進むあざらし(わたし)。もう、完璧オーバーウエイトでやってますからね。10キロにオマケ2キロ装着なんですよ。背中には鉄のタンクね。何かの罰を受けているよーですね。いいか、私は今オンナじゃない、サイボーグだと言い聞かせながら一歩 また一歩進むんですよ。しかし苦しくて苦しくて……人間ですけ。

そーして、潜って目の前に広がる 見慣れたたくさんのいきものたち。
私の暮らしている地域が、沖縄とはこーんなに違うんだなあと逆感動。

山口の海はほんとうにいいですね。海の色もすっかり青い冬の色。
そして、三ヶ月潜らなかった間に 命の時計が早いたくさんの生物たちの過ごした時間を、秋と雰囲気が違う海の景色にしみじみ見たり。命が短いと言うと、なんだかとっても悪いことのよーに聞こえますが、そうじゃなくて、それぞれの生物がもつ時間が健やかにその時間を果たせれば、それ以上のよきことはないとおもうております。四季によって生物の姿が移り変わるって素晴らしいですね。

……つづく@待たれよ 写真は撮ってある(借りて)♪