2009/06 Diving log 2

タコの礫垣 人の石垣 09/07/05 (日)

 砂地で隠れるタコ、その身を竦めた体はタコ的砂地模様の白マダラね。よく出来ているというか、へーーーって感じ。視覚が優れていても、辺りと我が身を見比べ確かめるものは無いのに、どこがどう解釈してそのようなことになるのか。そしてその身を沈める穴の周囲には、巧い事礫が組まれつくづくタコ工作に感動してしまいます。
 なんのことやら見ないとわかんないでしょ。見たらわかります。タコのみならず、あらゆる海洋生物も、昆虫、その他諸々の動物のように素晴しい造作を生活の中に仕上げるのです。

生物はうつくしい タコも同じく スーパーのタコだけ見てちゃわかんないよ

 さて、お昼前に2号宅へ出発します。2号宅は今昆虫と植物の王国です。そしてそこに人の手が丁寧に入っている。共生の風景というのですかねえ。果てしなく広がる田畑は人工のものなワケです。人工物でありながらその細工は総じて自然物なワケ。手入れの丹念さは日本人の几帳面さというか生真面目さというか、よくここまでと思う仕事ぶりで、つくづく人の手とはすごいことだなあと。

 暮らす家々、段に重なる田や畑にはこれまた器用に石垣が組まれている。間違いなく人の手で組まれた石垣をみると、わたくしは丹念に巣を造るあらゆる生物を思い浮かべてしまいます。身体能力が違うんで、やったことのスケールが違いますが、ありとあらゆる生物たちも、オノレの持てる力で自分の生活を組んでいる。

 生物は食べ物、或いは劣ったもの。そしてオノレは人間で、更にその中でも自分ってエライのだぞうなどと、安いプライドが高い人に、わたくしはおめぃも生物なんだよと囁いている(心の中で)。どっちがエライのでもなく、種類が違うだけ。タコなんておめぃより随分エライ。ただ、身の回りの素晴しい環境や、多様な生き方をしている生物の価値ってもんを語り出すと、ワタシが単なる超変人になるというのは明らかで、人間社会における我が身の扱い、明日の仕事への影響のために話しません。話しませんが思ってますで。

 

ウミヒルモの脇 タコの肩 09/06/24 (水)

 わたくしの趣味で潜っていることなので、ご覧になってもおもしろくもなんともないでしょう すみませんねえ。すみませんがわたくしはたのしい わははのは。

 夏の風物詩、ニジギンポやスズメダイの産卵床とは全く関係なく、ただだらだらと潜り進んだままにウミヒルモ。夏を迎えようとするこの時期、やっぱりどうかなぁと覗き込んでは溜息。ウミヒルモの花っていつ咲くの?咲いてないよなあ なんでかなあ。Webでウミヒルモの花を探してみると、葉と葉の間に咲くとあるんで、葉の間を注目するんだけど、期待させるよーな芽?がチラリ。このチラリさんは、例年こうやって期待させてはスカなんですよ。この場合は芽というより根?……そうか 根だったのか……うーんうーん。
 一度でいいから、「わたしね、今日咲くの。どう?来る?」って咲く前夜ウミヒルモが夢枕に立ってくれないかなあ。

ダテハゼはばら撒かれたフィギアの如く散乱……ではなく生息してる

うみひるもぉぉぉぉぉ 花をみせろおぉぉぉぉ

 黙り込むウミヒルモと問答しながら海底を進んでいたらタコと目が合いました。
タコはわたくしをじーっと見つめ、はぁはぁと肩で息をしてました。タコ息です。タコの肩がどこかわからないけど荒いです。いかり肩風のタコ目タコ呼吸。脇に筒挟んでんのは口ですかね。垂れ下がった袋は大事な頭ですかね。喉元にあるのは足ってヤツですかどうなってるんですか、でもタコだもの。そして頭を膨らませると同時に生きた福笑いは去りました。おおおおお……。

 イカってのもかなり奇妙な生物で、感情顕わなんで見てて面白いんですけど、タコも実際観てると別段面白くないのに面白い。タコ的には普通に逃げ去った……ただそれだけですが可笑しい。いえ、普通にしてるのになんだか好いって誉め言葉ですからね。ほんとよ 愛されキャラっていうのかしらぁねえ。
 てなことで、ただ逃げた……それだけのタコ動画、観たい方はどうぞ。ええ、逃げただけです はい。

……つづく。

 

夏のこどもたち 09/06/23 (火)

 海の中ってきれいなんですよね?などと、ダイビングの勝手なイメージでエエことしてんなと見られることはしょっちゅうです。確かに魚の群れを眺めると、非日常を感じるし、うつくしいなぁと思いますよ。南の海に行けばそりゃもうね、エエことしてんなぁと自分でも正直思う思う。けど、基本的にはわたくしの興味は普通種のちまちまとした日常ですからね。ダイビングのイメージが偏り過ぎですよ。私が偏ってるんかもしれんけど、そーゆー人たちって、絶対重たいタンクをわざわざ背負ってこんなもん眺めて喜んでいるなんて思ってはないだろうからなぁ。

ガキんちょ 一同

 さて、夏ですよ。夏。
 私はスズメダイの産卵床を、長い事どれなのかよくわからないでいて、岩の転がる場所で一人探していた時期があります。一度知ると、どういう状態であるのか解るんだけど、これが卵たち?と思う小ささなんで、知らないうちはわかんないもんです。
 卵を守るスズメダイの行動も、知らないうちは相手がムキになっていても、スズメダイだあーと思うだけで魚心は基本的にわかりませんしね。これも、一度わかると こっちを見ている魚面に違和感を感じるんで、お前背中の向こうに何か隠してるやろ?なんてバレバレです。そして見つけると非常にうれちぃ。

 バレバレスズメが岩場から出たり入ったり、岩陰で上目遣いしてるんで、シメシメと覗いてみると、やっぱり♪写真を撮ると既に目が出来ている卵がびっしりですね。755二号機マクロレンズ無しでも、目玉の粒はなんとなくわかります。レンズをつけて撮るともっとくりくりと子供たちの目玉が撮れるだろーなーと思います。

 夏の子供はいいですね。夏の親もいいですね。人間も魚も、子供は夏が似合うのです。私にも、汗まみれの夏があったな。子供と伴に汗まみれ、キーとなりながら燃えた夏、あれはこんな姿だったんだろうなあ。

……つづく

 

命を繋いだ関係 09/06/22 (月)

 生まれる前から世間が見えるってのは、一体どんな感じなんだろう。
 魚にしろイカ・タコにしろ、殻の無い卵で暮らす子供たちってのは、成長具合が透けて見えるもんで、ダイバー的には凄く面白いけど、ハッチアウトまであと一歩のイカなんかは卵の中で色彩を変化させたりするくらいだから、当然 赤ん坊たちも中から外の世界がよく見えてんだろうなあ。どのくらい見えているのかなぁ。

 人間の赤ん坊は光程度って聞いた気がするけど、キリンやら鹿やらは生まれて間も焼く走り出すじゃん。魚も生まれて直ぐに海原に送り出されるんだから、辺りが見える目を持っているんだよね?私はそう思うんだけど。そして、判断する頭もそれなりに持っていると思うんだよ どうだろう?

 親の姿を卵の中からずーっと眺めながら成長する子供たち。目ばかりがキラキラ。一つ一つが成長することだけ仕組まれているね。懸命な親ニジギンポも、サザエの殻に見え隠れする姿なんて もう もうもうもう可愛くてたまらん。ニジギンポの卵を守る姿ってのは、夏の定番だけど、こーゆーのって何度みてもええもんです。

ああこれが ニジギンポの命の粒!

 が、当方少々疲れた44歳なんで、こんなん見ても視点がそれなりになります。この卵の向こうの目たちが、自分たちを懸命に守っている親の姿をハッチアウトまで見ているということも、人として興味深い。魚頭で人頭と同じ発想をしてることは絶対になかろうから、その辺りも大変興味深い。

 わたくしは繋ぐ命の関係に打算がないっての 好きです。例えこれが<生態>というものでも、無償の愛の基本は おおこれぞと思う。見返りの発想も無く恩も無く、更には義理も人情も無い生物の生態に、命の率直さをみる。そういうものなのだと思う。 そして 重たく情絡む人の世の中、ダラ汗と伴に俯いて、わたくしの44歳の夏ははじまる…。

……つづく。