2010 3月 Diving log

たとえば ウミウシ 10/04/25 (日)

 座間味ダイビングから随分時間が経ってしまいました。座間味ばっかり行っているようですが、結局のところ慶良間がアクセスし易く、かつ 色んな乗り物を乗り継ぐため、遠くに行った感があり充足するのです。この度のダイビングで利用したサービスは3つめ。利用サービスに随分拘りがないようですが、潜る海はちょっとだけ見慣れてきた慶良間のうつくしい海でした。海あそびの時間に得た生命の姿は、日頃のわたくしのお仕事や生活のあちこちにも繋がり、自然についてあれこれと角度を何度も変えながら眺め考えたりなんぞしております。

 生物の進化なんかとは、全く脱線したことだけど わたくしの根はヒトの生活なんかの側にあるもんで、貝を無くした貝であるウミウシを見るとですね、世代を繋ぎながらそういう生き方を選んだ結果の姿ってのに興味があります。ここからはもう、ただただ目の前にいるものははウミウシでも、自分が見ているのはヒトの生活なのです。これはもう自分のダイビングに求めるものの嗜好以外にないところ。

 海のいきものに文化があるのかどうか存じませんが、生活の上で時計が止まらぬように、季節も止まる事無く春から初夏を迎え庭の雑草がぞろぞろと背を伸ばし、へへへと笑い頭を揺らしています。土に生物のプログラムが埋め込まれているのですね。生命は押さえられない仕掛けです。そのそれぞれが持つ独特な生命は、生きて記憶したものが一旦終り、次に渡されることで多様になっていくのかしら?どうなのかしら。そこに身体を姿を変えた言葉はあるのかしら。

 一旦学習した命がプログラムを書き換える為にある死の自然って欠け難い。ましてやそこに消えた命の言葉があれば。なーんてなことをぼんやりと海の底で思うのです。