2011年2月 diving log

寒緋桜 2 11/03/10 (木)

 寒緋桜と思われるものを仰いだのはダイビングを終えた夕刻。既に薄暗くなろうとする二月の空を背景に、確かに<桜>が花開いていました。

 青い空を背景に咲いていたら良かったけどと、花を指してくれたガイドさんが気をつかってくれましたが、地域異なる人間には、二月の空に桜があるだけでもう十分満足でき、<自分がほんとうにみることができると信じ難かった寒緋桜が、今こうして目の前にある>ことに、なんともいえない気持でいっぱいになるよってもんです。
 こういう満足を<大袈裟だ>と思われるのも辛いので、わあー!とか言いませんが、時間を経た今でも自分の気持ちを満たしている景色として心の中にあります。

 海の生き物たちも全部そうなんですが、生活圏が異なる生物が目の前にあることは本来有得ないでしょう。それが普通に目の前で今 生きている。ありきたりですが「観れてよかったなあ」と思うのです。
 いてくれてよかった、観れてよかった、出逢えてよかった、うれしい 大変うれしい。

 所でWebでこんな記事を読みました。http://hccweb5.bai.ne.jp/nishicerasus/cera-ka/c-kanhi.html つまり桜の花は椿のようにポットンと落下する、私が見たような<桜ん坊の茎の部分から落下はしない>のだというような記事です。私が見た落ちている茎付きの桜の花たちは何だったのかなあ?ああ、落ちた花の姿を撮っておけばよかったなあ。正常に落下したら、茎は樹に残っているのでしょうかね。子供にも花を見せてやろうと拾った3〜4つの花も<桜ん坊で言えば茎になる部分>から落下したものでした。

 山口のソメイヨシノはまだまだ咲きません。でも、幹を見ると桜の色を握り隠しているように思えます。膨らむ花芽が花に変わるのはもうすぐです。楽しみだなあ。

 

寒緋桜 1 11/03/01 (火)

 寒緋桜の名を知っていても<沖縄の寒緋桜>と聞いただけで幻の桜のように感じ、自分は観ることはないだろうなんて思ってたんですよ。海で出合った多くの生物たちのほうが、滅多で逢えない幻のいきものの筈なのになんでですかね。
 「寒緋桜は北から咲き南へ向う、それは内地の桜前線とは逆なんですよ。」と教えてくれたのは2年前の12月、本島でシュノーケリングをしたときのガイドさんですが、それ以来、自分は観ることは無いかもしれない、しかし観てみたい幻の桜でした。で、今回丁度沖縄の桜が見頃の沖縄入り……というか、若しかして鯨の季節は沖縄の桜の季節と捉えていいのかもしれないと気が付いた……ので、ま、ちょっとだけ観れるなら観てみたいと思いました。で、本島でガイドを以来する方に桜の件もメールすると、なんとなんと沖縄の桜はいくらでも咲いているとおっしゃるではありませんか。今帰仁城跡や名護は桜の名所だけど、街路樹でも普通に観られるとの返事は、幻がオイデオイデと手招きしているように感じました。

 そして本島ダイビング二日目の午後、ダイビングを終えて那覇に向かいつつ桜見物。いやはやホントすみません、桜までガイドして頂いてって感じで、感謝感激しつつ車を停め停めて頂き、あっちこっち咲いている桜を堪能……。それは広い公園から小さい公園、トイレの横で壊れそうな椅子に登って撮影……とか、民家の庭先……とか(笑)いろいろ。いやはや有難うございます。

 こうして幻の寒緋桜はこの時期の沖縄を彩る普通種と納得。そしてここでもその土地の普通種は他所の稀種と確信。寒緋桜にも種類があるのかないのか、紅花でも咲いている樹によって結構色合いが異なり梅を想像させます。ソメイヨシノ等と違い、花吹雪にならず椿のように一輪のまま散る(落ちる)という通り、落ちている花は確かに花弁ではなく<桜ん坊の茎になる部分>から一輪の状態で落下。しかし、面白いことに花弁は椿のように繋がっておらず、きちんと一枚一枚花弁として分離している。つまり、ちゃんと桜の形でした。なんで<桜ん坊の茎>の部分から一輪で落下するのか、そんなトコから落下したら、この花たちの大切なお子さんである実はどんな具合に実るのだろうか?と大変不思議です。

 花弁を散らさず、しかも一度咲き始めると随分長い期間咲いているらしい寒緋桜は、沖縄の民家のあちらこちらに植えられてました。内地では自宅に桜の樹を植えません。納豆のように毛虫が垂れ下がるのも理由の一つですが、大木となり根を張る桜は家の基礎に影響し庭木にはしません。一週間で花が散るのも短命を意味し美しいけど儚く不幸な印象が庭木に選ばれない理由だろうなと思います。が、ここでは桜は普通に立派な庭木なんですね。

 梅のような桜の下、内地のように御花見する光景もありました。ガジュマルの樹が囲い、ハイビスカスの花の上を見上げると寒緋桜が満開……。ここではこうした”普通の春の光景”がありました。